カミナリは、竹内まなぶさんと石田たくみさんの茨城県鉾田市出身の幼馴染同士からなるコンビです。
竹内まなぶさんの実家は、長年スーパーを営んでいたそうですが、閉店されたそうです。
今回は、竹内まなぶさんのご両親が経営されていたスーパータケウチはどこにあったのか、何故閉店したのかについてまとめました。
竹内まなぶの実家のスーパータケウチは茨城のどこ?
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竹内まなぶさんのご両親が営んでいた「スーパータケウチ」はどこにあるのでしょうか。
Googleマップで検索してみると、見つけることができました!
店名 | スーパータケウチ |
住所 | 〒311-1412 茨城県鉾田市玉田1046−2 |
電話番号 | 0291-37-0839 |
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Googleマップで確認できますが、「閉業」と表示されていました。
スーパータケウチはいつから営業していた?
竹内まなぶさんの父親のあきらさんが20歳のときから営業をはじめ、50年近く経営を続けてこられたそうです。
相方の石田たくみさんは保育園の頃からスーパータケウチでは一銭もお金を払わず、お菓子をもらったり、
中学生のころは、「飲み物とか持ってけ」とお世話になったと。
カミナリになってからも、企画があるたびにスーパータケウチに行っては動画を撮影させてもらっていた。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=pzFp3T_zXvk&t=27s
そんなエピソードからも分かるように、竹内まなぶさんはもちろん相方の石田たくみさんにとっても、スーパータケウチの閉店には思うところがあるようです。
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竹内まなぶさんの父あきらさんは、スーパータケウチの看板商品でもあるお刺身を、竹内まなぶさんをおんぶしながら仕込んでいた時もあったそうです。
そんな写真を見ながら改めて親の働いている姿を見せる事は大事なんだなと思います。
竹内まなぶと両親のエピソード
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どんな時も休まずお店を開けて営業していたそうです。
毎日、朝は4時から市場に仕入れに行き、夜の9時までお店を営業していたそうです。
そんなご両親の姿を見てきた竹内まなぶさんは、
儲かってるときもあったけど、儲からないときもあった。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=pzFp3T_zXvk&t=27s
借金もしながら、俺らのことを食わすためにやってた時期もあったと思う。
それで子供3人を東京の私立の大学に入れて、本当にスゴイと思う。尊敬する。
と公式のYouTubeで語っています。
竹内まなぶの実家のスーパータケウチの閉店の理由は?
最初は鮮魚店として始めたスパータケウチ。
震災があったときも、困っている人が買いにこれるようにという気持ちだけで、お店を開け続けたそうです。
そんな、心優しいお二人が長年続けてきたスーパータケウチをやめようと決めたのは2022年11月30日。
きっかけは、父あきらさんの「70歳になったら辞める」という言葉でした。
と考えていたこともあり、お店を閉める決断をしたそうです。
閉店当日にお店を訪ねてくるお客さんの中には、閉店が悲しいのか泣いてしまうお客さんもいたそうなのですが、
竹内まなぶさんの父あきらさんは「こんな最後の日に注文がいっぱい来て参ったな」と考えていたそうです。
自分たちの勝手で辞めるんだから、泣かなくていい。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=RHweugt9SJ0&t=1281s
そうやって、お客さんに声をかけたかもしれませんね。
まとめ
竹内まなぶさんのご両親が営んでいたスーパータケウチの場所と閉店した理由についてまとめました。
・50年以上続けてきたお店だった
・閉店する日はお客さんが多くてとにかく忙しかった
・お刺身が破格にお買い得
・お金よしも体のことを優先しての店じまいの決断だった
当たり前にあるものだと思っていたものがなくなると聞かされると、寂しい気持ちになってしまいますね。
普段自分の周りにある当たり前のことを大切にしていこうと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。